HOOLIGAN :

6月4日に開幕した第14回 FIFA ワールドカップ「イタリア'90」に興奮したサッカーファンにはおなじみのフーリガン。元々サッカーとはこんな言葉が登場する前から禁止令が何度も出されるほど乱暴で危険なスポーツだった。サッカーそしてフーリガン発祥の地イギリスは当時も今も階級社会としての伝統が頑として存在し続け、下層階級の労働者らは日々の鬱積をサッカーをプレイすることであるいは観戦して選手個人に感情移入することで晴らしていた。
1985年5月29日ブリュッセルのヘイゼルスタジアムで行われたヨーロッパチャンピオンズカップの決勝戦、イタリア・ユベントス対イギリス・リバプールの試合前に起きた大惨事ではリバプールのフーリガンの挑発が死者39人、負傷者400人を出す結果となりTV でこの事件を見た5億人に衝撃を与えた。
イギリス下層階級の労働者の暴力がフーリガニズムだとサッカーのフーリガニズムは当時のサッチャー政権によってイデオロギー的に利用されていると見る人がいる。あるいはアルコールが過剰な反応を示すとしてアルコール問題を指摘する声もあった。そして今大会のサルディーニア島にやって来たイギリスの報道陣の80%がフーリガン取材だというマスコミのやらせ、その軽率な報道と過剰な警備体制がフーリガ二ズムを煽っているとの指摘がこれに加わる。実際に金を与えて取材したり記者がフーリガンになって地元住民や警察を挑発したという報告があった。
最も注目すべきなのはネオナチ、極右勢力との結びつきだ。西ドイツのフーリガンに対するネオナチの働きかけが明らかになったのは1983年10月26日西ベルリンでの欧州選手権大会予選、西ドイツ対トルコの試合でネオナチはこの試合を反トルコの戦いとして位置づけクロイツベルグ(トルコ人移民が多く住む地区でクラブシーンやゲイカルチャーが育つマイナー文化の巣)にたむろするパンクやスキンヘッズの若者を集め一大動員をかけた。その結びつきはフーリガ二ズム・インターナショナルと呼べるほどでイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、西ドイツなどにその組織を広げていった。 「アムステルダムで黒人を、プラハでユダヤ人を、ローマでカソリックを、ミュンヘンでトルコ人を殺してやる」と叫ぶ極右の国民戦線ナショナル・フロントに属して過激な行動をとったサッカーファン、フーリガンの存在が明らかになっている。

▲TAMA- 3 掲載、1990